先日、
宇宙から応援される
「本当の自分とビジョンに出会うワークショップ」
を開催しました。
http://inoue516.com/2016/10/04/vision-ws/
自らの本当のビジョンを探求するワークショップ
だったのですが、
そこで感じたのは、
私たちは、常に、
何者かであろうとしてしまう
ということです。
それは、
強迫観念といってもよいかもしれません。
何者かでなければ、
日々を過ごせない。
そんな義務感。
見つからないと、苦しい。
でも、
本当はそれは、
自然に見つかるときが来るまで、
保留にしてもよいことだと思うのです。
もっとベーシックなところを
満たしてからでもいい。
何者かであろうとする力は、
要は人間の、社会参加欲求です。
そして、ビジョンというのは、
いうならば、その最たるもので、
社会的な自分を定義するための
一つのツール。
社会に参加するときの
ポジション取りです。
あれば非常にパワフルで、
みんなから応援される。
でも、それは、
今じゃなくてもいい。
いつでも始められる。
今がその時かはわからない。
むしろ、
タイミングが来たときに
乗ったほうが、
強いかもしれないのです。
一度ビジョンを発信すると、
しばらくはそのビジョンにある種、
縛られて生きていきます。
きっと、
大きな幸せも待っていますが、
少しの不自由もある。
であるならば、
そんな束縛が無いモラトリアムも、
せっかくだから、
楽しめるといいですよね。
何物にもなれる自由。
宙ぶらりんを楽しむことは、
結構難しいことだと思いますが、
少なくとも一度、
今日お伝えしたようなことについて
客観的に考えて見れると、
少し状況は変わるかもしれません。